2014年2月7日金曜日

世迷い言


 私が生まれたころ、日吉ミミが「世迷い言」という歌をうたっていた。作詞・阿久悠、作曲・中島みゆき。私はテレビドラマの再放送で、主題歌だったこの曲を聴いた。そして、後に中島みゆきのアルバムで、中島がカバーした曲を聴く。

 ふられるときまって風邪をひく…

 こんな「○○だと……する」といった体調にかかわる因果関係(!?)は、実は私にもある。しかし残念ながら、恋愛に関することではない。
 「原稿(論文)を書きだすと胃が痛くなる…」。今まさに胃の痛い日々であり、今後これがしばらく続く見通しである。なんとも自分には不向きなことを生業にしてしまったものだ。
 そして胃が痛くなると、きまってわが地元、釧路市城山商店街を思い出す。(…なぜ、突然商店街の話になるのかわからない方が多いと思うが、私の中ではちゃんとシナプスでつながっている。)
 
 高校時代、私は教育大学に近い材木町の下宿から学校に通っていた。その3年間のうちに2回ほど胃カメラを飲んだ。いまはフィットネスクラブの駐車場になってしまったところだが、当時胃腸科を標榜する医院がそこに、城山商店街にあった。
 胃カメラは本当に苦痛だったのだが、実は高校生の私には一つのステータスでもあった。胃を痛めるくらいまじめな、一所懸命な自分…。そんな自分を演出していたような気がする(痛いことには間違いないのだが…)。

 当時、城山商店街には、店がたくさんあった。
 私が住んでいた下宿屋は日曜日は食事がなく、 仲間といっしょに商店街のどの店で食事をするかが、一つの楽しみであった。レストランでのスパゲティ、立ち食いそば、喫茶店でのカレー…、。
 今、学生たちがアルバイト等でもお世話になっている二つのコンビニも、当時はどちらも食品を扱う商店だった。私は下宿屋に近いお店をよく利用した。卒業の時、引っ越し荷物をそのお店から送ると、「あなた、まだ高校生だったんだ…」と驚かれた。当時から老け顔だったらしい。
 今はやめてしまった金物店のご主人には、ボランティアサークル「微・すけっと隊」に誘ってもらい、釧路養護学校をはじめとする子どもたちとのレクリレェーションに参加する機会を得た。
 今も現役ばりばりの床屋さんには、3年間通った。とにかくおじさんとたくさんおしゃべりをした。水産・炭鉱が盛んな頃の釧路のにぎわい、仕事が忙しかったこと、お孫さんのこと…。おじさんは十勝の生まれで、十勝空襲のことも話してくれた。

城山商店街のみなさんで担っている「もしりや子ども神輿」


 …
 先日、副学長補佐として、大学が大津波警報時の緊急避難施設に指定されたことに伴う、近隣住民への説明会を担当した。事前の広報から当日の運営まで、商店街や町内会の方たちのご意見を伺いながら、進めさせていただいた。

 その説明会の会場には、高校時代からお世話になっている城山・材木町・大川町のみなさんが、たくさんいらしていた。「足が悪い高齢者をどう避難誘導するのか…」など、たくさんの質問・意見を出していただいた。

 個人として、また地元に根付く大学の教員の一人として、この地域にどんな恩返しができるのか…。胃の痛みがそんなことも考えさせる。

 
4月になると毎年掲示していただく看板