2016年10月8日土曜日

障害は自己責任なんだろうか?


 アニメーションの映画に「どんぐりの家」というのがある。上映開始は20年ほど前。我が母校・日本福祉大学では、近藤直子先生が大学祭に合わせて上映会を主催されたことを思い出す。のちに私は、ライブラリー版のVHSを購入し、たびたび授業で学生たちと見た。
 原作は、山本おさむ『どんぐりの家』(小学館)という漫画であり、実際に埼玉県毛呂山町に開設された「ふれあいの里・どんぐり」にかかわる実話がモデルになっている。

 この映画、後半は、聴覚障害のある子どもの親たちが「親亡きあと」を憂い、また学校卒業後の労働と居場所を確保するために、施設づくりの「運動」を展開する場面が描かれている。映画では、さらっと描かれるが、バザーや募金活動の他、資金集めの取り組みは、相当に過酷なものだったと想像する。

 映画上映から20年。この間、障害者福祉にかかわる法律が何度も変わった。障害者権利条約の批准も済んだ。以前から比べれば、いわゆる「福祉サービス」は質? 量? ともに? 充実してきたと語られる。また、社会の障害者に対する理解が広がり、差別意識も薄まってきたかに見える。

 しかし、この地域では、ほんの数年前まで「重症心身障害」の方たちが、学校卒業後に「通える場」は無かった。親たちが法人を立ち上げ、何千万という借金をして、「日中活動」の施設をつくって今に至る。
 そして借金返済の目途がつくかな…という最近、今度は「生活の場」であるグループホームやそれを支える居宅介護といった新たな事業が必要になってきた。地域にある既存のサービスは、重症心身障害の人たち(医療的ケアを必要とする人を含む)を対象としていなかったり、あったとしても家族が安心して利用できる内容・形態にはなっていないのである。

 いつの間にか親は高齢となり、身体の介助を含む「生活」をサポートすることに限界が来はじめている。
 そしてそれ以上に、明確な言葉として意思を表明することはないが、重症心身障害の人の立場に立つならば、その「声」を想像するならば…一人の青年・成人として「親から離れて、自分なりの生活をしてみたい」「家から出たい」と言う人もいるのではないだろうか。当然の要求である。
 
 「借金をしてでも、必要なサービスをつくるのが社会福祉法人の責任」と法人事務局長は言う。私も法人にかかわる人間の一人として、この言葉に賛同し、責任の一端を担う覚悟をする。

 一方、広く市民の福祉と生活を司る人(あえてぼやかすが…)にも、福祉サービスにかかわる「責任の一端」があるはずだが、それを理解しているようには思えない。
 言葉にはしないまでも、いまの対応は…まるで「障害は(家族を含む)自己責任だ」と言っているようだ。だって何もしない、丸投げだもの。しんどい本人と家族を放っているんだもの。

 子どもがどの地域に生まれるか…。これは偶然の所作である。どの地域で、どのような状態で生まれたとしても、健やかに育ち、居場所が確保されるように…。まだまだ自分が担うべき仕事はたくさんあるようである。

 老老介護の事件、人工透析に対するネット上での議論、そして憲法改正案?第24条、改正社会福祉法、その他の議論にふれながら、20年前の「どんぐりの家」を思い出し、休日出勤の朝にぼやいてみた。

 おしまい。